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ゆるゆるいこう♪

日々いろいろありますなぁ

スタート地点でつまずいて 

集中暖房も入り、すっかり冬仕様の家の中ですが、晴れたり曇ったりすると、部屋の中も暑かったり寒かったりで忙しい。日差しのありがたさを感じますなぁ、冬になると格別に。



こうして書いてると、思った以上に思い出すもんですな、ほんと。

どんなことがあっても、あの淀んだ家から大将さんを引きずり出さねばならん!もちろん自分だって、あんな家に入ったら腐る。新しい住まいは、しょぼいが新築のアパートで、わたしが一人暮らししてた場所の近く。大将さんの実家は距離的には近いが交通の便が悪く、その当時は運転免許を持ってない爺婆には申し訳ないが・・・


とりあえずはラッキーな環境だった。


しかも直ぐ、姐さんが歩いて5分もかからない近さに引っ越して来て、年月としては5年も無かったんだけど、あの頃は、ものすごい濃く楽しい日々だった。


さて、結婚式なんぞ恥ずかしくて思い出したくもないが、そんなこんなを決める時のこと。


母親が勤めていた老舗のレストランで披露宴をやるのを決めた。その打ち合わせに婆が「自分も行く」と言い出した。一人暮らしのアパートに迎えに来てもらったんで、わたしと大将さんと婆が、待ち合わせの場所であるレストランで(わたしの)母親と落ち合った形になった。


色々と店の人に話をうかがい、その後、同じ系列のトンカツ屋に昼食を食べに行ったんだけど、その時、わたしの母親が婆にブチ切れ寸前になった・・・らしい。食事をしながら「これはどうします?」「あれはどうします?」と、自分が勤めてる店とはいえ一応、娘の旦那になる人の親を立てて話しかけてみるものの・・・



全てにおいて婆は


わたしは田舎もんだから都会のことは知らない。判らない


と言い続け、「だったらこれで」と決めると、「それじゃぁ!」と文句だけ言っていた。



後から母親が・・・


あんたの為に黙っててやったけど、分からないんなら誰かに聞けばいい!知らないんだったら調べればいい!いったい何十年こっちに住んでるんだ!!!って言ってやりたかった


と言ってたが・・・DNAってやつでしょうかね?



これまた最期まで婆は、わたしは知らない分からないって人だった。後で書くけど、臭い飯の話が、まさにそれ。




わたしたちの1ヶ月後、直ぐ上の今は行方不明の兄が結婚するのもあって、そっちに金がかかったんっでしょうな!でも父親が「少ないけど」とお祝い金をくれた。当時は大将さんが小金持ちだったのもあり、結婚の費用の心配は無かったけど、爺婆は一円のお祝いすらくれませんでした〜!


それはそうと、結婚式やって黒字だったんですのよ!


だもんで、その黒字になったお金を定期預金にした。そこから修羅場が始まった。また金の話?って思われそうだけど、お金の使い方くらい、その人の根性が出ると思いませんか?特に、他人様へのお金の使い方が。金額の多少に関係なく、どんな風に出せるのか、それって根性丸見えでしょう!


先日から何度も書いてますが、爺婆は自分のためにしか金も時間も使えない人で、義理はこっち持ち。しかもですよ!一昨日の夜だったかな?大将さんに「あの金が戻って来ると、あんたは本当に思ったの?」と尋ねてみたら・・・全く・・・微塵も・・・一切合切すっからかんと忘れていた。


だからだよ・・・ここまで苦しめられたのはよぉおおおお!


その定期預金には40万円という金額が入っていて、それをわたしに黙って解約し爺婆に手渡してから


親父が免許とって車買うっていうから貸した


と言われ、しかも無断で解約し、しかも手渡した後に言われたもんだから 怒髪天


もちろん鬼のように怒りまくり説教しまくったが


あの人たちは金にはちゃんとしてるから大丈夫。毎月少しずつ返すって約束したから・・・


と、たぶんぐうの音も出せず適当に言ったんでしょうな。だって餌食にされてきた張本人なんだから。つーか、ずっとそういうの(貸すイコール戻って来ない)が当たり前の家庭なんでしょう。わたしに対しての、ただの言い逃れ。そこまで怒られると思ってもみなかったんでしょう。


どんだけ説教したかワカラン!そして言ってやった。



病気や怪我で大変なら、そういう金なら出してやる。しかも、貸すんじゃなくくれてやる。けど車って・・・そんな贅沢品(田舎とは違うから車が無くても暮らせる。実際に暮らしてたんだし)にくれてやる気持ちなんて無い!



そう言ってやると、だんまりだったか?言い返されたか・・・もう忘れたが・・・



ちゃんと返してもらわないと、この先、どんな風に(仲が悪くなるか)分からないからね!そんだけのこと、あんたはしちゃったんだよ!分かってるの!!!しかも自分だけの金じゃなく、お祝いにいただいた大切なお金なんだよ!分かってるの!!!!!ちゃんと責任とりな!!!


と、たぶん・・・こんなもんじゃなく、もっと理路整然と言った・・・確か。そして、この後、たんぶん洗脳されてた大将さんも、わたしがうるさいんで伝えたんでしょうな。婆がしおしおと電話をかけて来て・・・


お金貸してもらっちゃって・・・ちゃんと返すからね


と言ったが、これを皮切りに、どんだけ騙されたことか!!!



さて、さて、北海道へ引っ越すのが決まってからのこと。



北海道への移住は、まさに青天の霹靂ってやつだった。その頃、アパートの隣に大きなアトリエを借りて(油絵の)大作ばかり描いてたもんで、ものすごい荷物が多かった。こっちで住む家のことと引っ越しで、軽く100万円かかるのが分かった。そんなのもあり・・・


貸した40万円、ちゃんと返してもらって来い!


と命令した。たぶん殺気だってたんででしょうな、わたしが。貸してから既に数年経ってたが、一円すら返す気がないどころか、先日書いた結婚の祝い金や墓・・・そんなことばかりやられてたからね。だから大将もわたしに強く出られなかったんでしょう。


が、しかし、やつは負けて帰って来た。



それどころか、その時は何故か、大将が帰宅した頃に呪いの電話が有り、でもわたしが出て


北海道へ越すのにお金が100万円以上かかるから、ただ貸したもん返してって言ってるだけ!



と言うと婆は・・・



あんたたちは本当に金に汚い人間だ!!!!!!!!!


と気が狂ったように叫んだ。



やっぱり気が狂ってる・・・・と思ったが、その前に大げんかしてたんだよ、わたし。


北海道へ行くと決めたのは、大将さん。わたしは反対だった。それなのに、またまた大将さんが居ないのを知って呪いの電話をよこし、何故かわたしを責めまくる爺婆。もうねぇ、交互に電話に出て「どうして北海道になんて行くんだ!」とか「勝手に決めやがった!」とかボロクソになじるんですのよ。


これが昨日書いた「とある日まで」の日になった



ずっと我慢してたけど、遂にキレちゃったんですよ、わたし。


知らない!わたしは知らない!わたしが決めたんじゃない!あんたらの息子が決めたの!しかも勝手に決めたの!わたしは反対なの!出来たら行きたくないの!わたしに文句を言うのは筋違い!あんたらが「止めろっ」て説得してよ!でもどうして・・・・いつもこうやって息子が留守なの狙って電話して来て、わたしだけに文句を言うかな!!!!言いたいことがあったら息子に直接言いな!!!!!!


とまあ、爺婆がビビるくらい、こんくらいのことは言ってやった。


そう、わたしは言えないんじゃなくて、言うの我慢してるだけ。あの日を境に、言い返せる人間になった。少し強くなった。じゃなきゃ生きて来れなかったから。それまでは本当に大人しいちびっ子だったのに・・・これほんとよ。が、それより何より爺婆も自分も、相手が何を言ってるか分からないんだな。



爺婆は、わたしが言ってることの真意が分からず、わたしは秋田弁が分からず



今思うと、わたしが財布(人?誰?)を北海道へ連れ去るとでも思ったのかもね。わたしは、わたしで、そんじゃなくても滑舌が悪い爺が、早口の秋田弁でまくしたてるように何かを言ってても、ありゃ本当に ほとんどワカランかった! だからあれくらいで済んだのかもなぁ。


ま、数日前にこんなことがあったもんで、あと数日で引っ越しって時に取り立てにいったが・・・負け戦。



そうだ!その前にも色々あったんだったよ。とある日に、鬼悪魔な嫁がキレるまでのこと。



時系列に沿わず支離滅裂になってますでしょうか?でも、どこ齧ってもあんこ出て来てるでしょうか?今まで意識的に思い出さないようにしてたけど、こうして書き出すと・・・出るわ!出るわ!出て来るわ!しかも付き合い始めてから結婚までの期間は短いし、横浜での結婚生活は5年ほど。短期間にぎゅっと濃縮ってか?



どこでもドアな話


大将さんの実家に連れて行かれてから数日後って感じだったかな?「うちの親が(一人暮らしのアパートに)そっちに行きたいって言ってるんだけど」と言う。嫌だったけど、別にやましいことなんぞないし、「いいけど」と言ったら来ることになった。


これは、これこそ常軌を逸した行動その1ですよ〜!!!しっかり読んでくだされ。


爺婆を車に乗せやって来た大将さんですが、その大将さんを押しのけるような形で玄関に入って来た爺婆。挨拶もそこそこに、まだ「どうぞ」とも言ってないのに靴を脱いで勝手に上がり込み、確か「これ」とだけ言ってビニール袋を手渡すんじゃなくて押し付けられた。包装されてるとはいえビニール袋はコンビニもの。来る途中で「とりあえず買って来た」の見え見え。しかも大嫌いなパサパサボソボソのロシアンケーキだった・・・・けっ!


わたしが玄関先で手みやげのお礼を言うより先に爺婆は勝手に部屋に入り・・・・


ドアというドアの全て・・・トイレ・風呂場・押し入れ・タンス・冷蔵庫までも開けた。


これまた今になって思うと、あれは刑事もんのテレビドラマでいうところの 手入れ(この字かな?) ってやつで、金が掛かるから探偵を雇わず、自分たちで確かめに来たのかもね。本物の手入れだって令状を見せて始めるだろうに・・・ねぇ。


しかも、その行動は「何するんですか!」と言う隙も与えてくれないくらいのスピードでして・・・つーか、あまりの非常識さに背筋が凍って固まってしまってたのが事実。お父さんのせいで可哀想なお母さんは、お父さんを止めるどころか一緒になって行動よ。どこが可哀想ってか?可哀想なのは、わたし。


その後、確かお茶くらいは出したような気がするが、手入れが終わったら用事もないようで、あっという間に帰って行った。幸いに遭遇しておりませんが、竜巻や突風ってあんな感じなのかも。その爪痕は本当に大きい。こうしてネタにでもしなきゃ・・・やってられねーよ!



結納で血を見た話


どこでもドアの爪痕が心に深く残っているものの、どういう訳か結納になった。わたしはお迎えする方の立場なんで、当日、大将さんに乗せて行ってもらう訳には行かないと・・・その頃は長兄と一緒に住んでいた父母の家に前日から場所入りしていました。


結納なんて、どんなことしたかも忘れた。憶えてるのは、店屋物じゃなくて、母と義理の姉が料理を作ってくれ、その時のブリの照り焼きを婆が、わざとらしく絶賛して・・・わたしの身内どん引きだったことくらい。


あれこれ終わり帰る時間になり、わたしも車に便乗させてもらうことになった。記憶では車内での会話なんだけど、わたしが車に乗せてもらって帰宅したってことは・・・行った人数(大将家と仲人)を考えると車二台。となると、わたしは一旦、大将の実家に行き、そこからアパートに送ってもらったんでしょう。だとしたら、爺婆の家に仲人夫妻も立ち寄って、そこでの会話だったんだな。


婆が「この人に」と選んだ仲人は、とんでもないクソ夫妻だった。


わたしは、わたしたちは、結婚後どこに住むかなんて、な〜んにも言ってないし、決めても無かった。それなのに婆が、もちろんわたしが横に居るの百も承知ですよ!わざとですよ! あんな所に住んだら息子が病気になっちゃいますよ! と仲人に言い出した。


いえね、このクソ夫婦もね、どっちかがまともなら良かったんですよ。が、しかし、これまた奥さまは旦那さまを制すること無く、そんな酷い所なんですか???と話を盛り上げたときたもんだ!もうねぇ、ボロクソに言われたよ。


その頃の婆は、今のわたしより年上。50半ば過ぎのいい大人がさ、若いお姉ちゃんが一生懸命に働いて一人暮らししてるのを、わたしだったら「頑張ってて偉いね」と言ってやるけどね。百歩譲って、そう言えないにしても、日当りが悪い!狭い!古い!と・・・そんなこと言える自分が恥ずかしいと思うけどね。


けど、そんなことより悔しかったのは、初対面の時に大将の死角で嫌みを言ったように・・・・こいつ!面と向かって喧嘩も出来ねーのかよ!!!って悔しさ。わたしの前で他人に言うの・・・・わたしに言えば喧嘩も出来るけど・・・本当に根性が悪いとしか言いようが無い底意地の悪さ。この後、もう一回こういうことがあり、そこで終わった・・・大きな何かが。


誰も味方は居なかった。本当に本当に悔しくて、膝の上で握った拳から血が流れた。自分の爪で自分の手のひらを切ったんですよ。そんな痛みより心の痛みのが強く、ただただ涙をこらえるのに必死だった。



さて、これを読んでる人が、たぶん一番気になってるのは、そういう時の大将さんの態度かと?彼は常に、固まって黙ってましたよ。もちろん今思い出してもヤツの態度が一番ムカつきますが、どんだけ「どうして何も言ってくれないで黙ってたの?」と思ったことか。この結婚自体が間違いだと思って来たか。


が、彼の北の国のような閉鎖された家庭で洗脳されて育ったんですから仕方ない。あの頃と今じゃ・・・他人さまには別人。他人さまにゃ親切。他人さまにゃ頼りがいがある男。全ての男性とは申しませんが、わたしにとっちゃ、どうして男って現実が見えない・・・・見ようとしないんだかね!!!ですけどね。



おとんのふとんにぶっとんだ


このネタ確か前に書いたことあるけど、これも面白いはず。


結婚して直ぐのこと、「布団を買ってやったから取りに来い」と婆から電話があったんで、まさか布団をもらうのに手ぶらって訳にはいかん!と、エビチリなどの中華料理などを作り持参した。この時に限らずなんですが、わたしが実家に行くと婆は・・・


・・・あんたまで来たのぉ・・・というクソババアだった。


この時はどうだったか忘れたが、挨拶して手みやげの手作りの料理を手渡すと、見もせず右から左へ・・・って感じ。大将さんが「色々入ってて旨いよ」と言うと、爺は「食べてみたい」と言うが、婆が「後でいただくから」と遮る。それでも爺が勝手に開けて少しつまみ「こりゃ旨いな」なんて言ったもんで、余計に意固地になる婆。


「今食べたばかりでしょう!」みたいに言いながら奪い取り、どこかへ仕舞おうとする。それを大将が「容器は要るから中身だけ出して」と言ったもんで・・・婆激怒?なんかすごかった・・ヒステリーで。つまりは面白くないんですよ、自分が出来ないことされるのが。バカみてぇだな!って思ったけどねぇ。


が、バカみたわ、わたしが。


だって布団・・・大将さんの分だけしかなかったんだもんよ!!!


おとんの布団しかございませんでした。どうやらわたしの分は「前にあげたから」らしいが、それは使いかけの布団で新品じゃない。話は逸れるが、「せっかく息子を大学まで行かせたのに、こんな学校も出てないような人と(一緒になるなんて)」とか、そういう人を常に小馬鹿に扱う人だったな。


わたしは学歴とか育ちとか、そういうことは言うもんじゃないと、書くもんじゃないと、そうやって思っている。しかし、そんなこといえるような、そういうもん婆にもなかったんじゃね?婆の口は暴力だった



さて、ふとんにぶっとんだ頃はまだ、1人息子可愛いがための行為だと思ってた。盲目的に可愛がってるのかな?と。が、しかし、爺の金の無心を遮ることもなく婆までが加担してるが徐々に分かって来て、このページの上の方に書いたけど、北海道へ行くのに対して責めまくられたのもあり・・・・


こうなったら北海道へ行こう!と逃げるように引っ越して来ましたのよ。



が、しかし、思った以上に北見での生活は大変だった。だからかな?年かな?横浜に居る頃のような言うべきことは言ってやる!パワーが落ちて来た。いや、北海道から横浜の距離が少しホッとさせてくれたのかもね。爺婆が来る訳じゃなく、電話での言葉の暴力だけになったから。



いよいよ物語(?)は佳境です。え?もう既にお腹いっぱいですか???




化け物より恐い妄想婆


爺が病気で入院した。あればあるだけ使って来たキリギリスに、コツコツためた金を何度か送ったアリさん。危篤の連絡が入り駆けつけるようになったが、その当時住んでた北見からだと、女満別空港から羽田までの便は日に何便もない。今に今、すっ飛んで行ける状況じゃなかった。それに対し、そういう細かな事情を知らない病院関係者にでも言われたんでしょうな。


どうして直に来れないのって○○さんも言ってるのに!!!と、相変わらず自分のふんどしで相撲をとらない婆。ま、これは焦ってたんだと思って大将さんもスルーしてたが、自分1人でお父さんの面倒を見て・・普通は家族が応援してくれる・・・って○○さんも言っている。という言葉には、さすがにキレてた大将さん。


アリさんにも限度がある。




つづく。



Posted on 2013/11/20 Wed. 23:41 [edit]

category: ぼやき

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